価値ってなんだべ
病んでいる。いや、病んではいないか。
性格があまりよろしくない。
些細なことなのに、気がつけば「自分に価値があるとでも思ってるの?」と検索タームに打ち込んでいた。
過度のかまってちゃんが苦手で、まして可愛くもないおっさんだともう。まったく楽しくなく……気づけばそんな暴言を。あかん。あかん。
でも私の割といいところは、同じ言葉を同時に自分にも放っているところだと思う。
「自分に価値があるとでも思ってるの?」
に対してちゃんと答える。一応。
「いやぁ、思わんなぁ。てか、価値ってそんなに大事かね?」
とここから ふと、そう言えばあれはいつのだったかな? と検索の旅に出た。
私にとってとても大事な言葉。晴れ晴れとした気持ちにしてくれた言葉だ。
それは高橋書店さんの第11回手帳大賞 名言・格言部門大賞作でした。
『お前は 意味だけで 生きてんのか。』
今年20回目らしいので、出会ったのは9年前になるのかな?
本屋さんで配られていたしおりに印刷されていたこの言葉とエピソードに、めちゃめちゃ同意したことを覚えている。大声で笑い出したいような、そんな感じだった。
その頃使ってた手帳にいまも挟んであるはずだ。
生きてる意味がわからない。
自分に価値なんてない。
なんて言葉に出会うと、それってそんなに大事なこと? ってなる。なるけど、まぁ、人間らしいのかもなぁ、とも思うので、出会ったからって別に攻撃したりはしない。
たぶん、こんなこと考えるのって人間だけだろうし。
意味がなくても、価値がなくても、嬉しかったり楽しかったり幸せだったりな瞬間のために生きればいいじゃん。
生きてる意味がないって思っても、自分に価値なんてないって思っても、生きてていいんだよ。心が気持ちいいと思う方向に向かっていいんだよ。人様に多大な迷惑を掛けたりしなければ。多少の迷惑は誰だってお互い様で、よっぽどじゃなければ許されるもんだし。
と、悩める人にも思うが、自分でも思っているので、意味やら価値やら、考えてもどうしようもないことは時間の無駄と、ずいぶん昔に考えるのをやめた。
考えた時期はあった。悲観的に生きることを楽しんでいた時期。
本人は辛いんだろうが、考え方を変えようという気がないのでいつまでも悲観ループ。変える気がないのはそれを楽しんでるから。悲観の苦しみを楽しむ。たぶん哲学してたんでしょう。
そんな時期を経て、私はもう答えを出しちゃったので、聞かれれば、意味も価値もどうでもいい。大事なのはそこじゃない、と答える。聞かれたことないけどw
しかしゆえに、自問自答ではなくいつまでたっても他問して慰められたがる人が鬱陶しい。ループから抜け出して、いつかあなたが自分の答えに辿り着かれますように。
てゆーか、可愛くないおっさんは単なるかまってちゃんでした。ポジティブなだけ全然マシだったわ。